仮想戯話

Ver.奏国(陽子宗麟)









 宗王崩御。
 宗麟崩御。

 続けての鳳の報せに各国は震撼した。

 六百年を越える歴史上でも最長の治世を敷いた奏国の突然の瓦解。
 誰もが予想せず、傾いている気配さえ感じられなかった中での終焉は様々な憶測が飛んだ。
 しかしその真実を語る者は誰も居なかった。


 
 そして……十六年の歳月が流れる。








 清漢宮は麒麟の連れ帰った王にしばらく騒ぎは収まらなかった。
 放浪癖のあった公子とはいえ、その姿を知っている官吏は多い。
 利広が王を手にかけた張本人であることを知っている者も居る。
 だが、麒麟が王だと言えば『王』なのだ。幾ら否定してもそれは覆らない。


「よぅ、ついにご同業だな」
 堂室に入った途端に掛けられた声に利広は眉を顰めずにはいられなかった。
 今や十二国最長の大国となった雁国国主尚隆がふんぞりかえって床几に腰を掛けていた。
 その傍らには幼い姿の延麒が立っている。
 利広は無言でその対面に腰掛けた。
 それを面白そうに延王は眺めている。
「陽子も元気そうで何よりだ」
 己の麒麟にまで親しげに声を掛ける延王に、利広は陽子を振り返った。
「おかげさまで。主上、蓬莱からこちらに戻ってくる時に延王と延麒にはご助力いただきました」
「だがまさか陽子が選ぶのが利広だとは想像だにしなかったな」
 面白そうにしながらも、鋭い光を称える視線が利広を貫く。
「このまま陽子が王を選べなかったら雁国に連れていくつもりだったのだがな」
「どういうことだい?」
「どういうことも何も、美人だろう?」
 陽子の気配がそっと動く。
 出会った当初『少年』だとばかり思っていた陽子は、実は『少女』だった。王宮に戻り盛装した姿に利広は初めて気づいたのだ。
「延王、冗談はやめて下さい」
「冗談では無い。俺はいつだって本気だ」
 その言葉こそが冗談に聞こえてならないのだ。
 その脇の延麒にどつかれているのもそれを助長する。
「主上、気にしないで下さい。初めて会った時から延王はあんな調子です」
「見慣れた姿だから気にしないけど……陽子は私の麒麟だから。残念だったね、風漢」
 それを証明するようにこれ見よがしに陽子の手をとった利広は、その甲にそっと口づけた。
 陽子が困ったように眉を寄せる。
「憐れな。こんな男の毒牙にかかるとは」
「延王の後宮に放り込まれるよりはマシだったんじゃないかな」
 利広と延王の視線が絡まる。
 延麒六太は男二人の遣り取りに手を見上げた。
(本当にこいつら…妙なとこで似た者同士だからな……)
 普通の女よりも少し不器用で、けれど強気で可愛らしい女……陽子は延王と利広の好みのど真ん中だ。
 遣り取りの意味に気づいて居無い陽子は、困ったように首を傾げている。

『私は本当に麒麟なんだろうか?』

 淡々と、苦悩の色さえ見せずに首を傾げた姿を六太は覚えている。
 普通の麒麟ならばそんな疑問などもつ余地は無かっただろうに……同じ蓬莱に流された延麒は、それでも外見は伝えられる麒麟そのもの、転変も転化も問題ない。己の存在を疑ったことは無い。
 お前は麒麟なんだ、と伝える言葉の何と空虚だったことか。
 だが、そんな陽子も王を選んだ。やはり麒麟だったのだと安心したのだが。
(それが利広っていうのがなぁ……何でこいつを選ぶかなあ……)
 何というか一難去ってまた一難、と言えなくも無い。
「だいたい何ゆえ陽子にそんな格好をさせている?」
 六太が物思いに沈んでいる間も男たちの遣り取りは続いていたらしい。延王が言う陽子の格好とは、男物の官服のことを言っているのだろう。
「もっと着飾ってやったらどうなんだ?」
 甲斐性無しめ、と延王が鼻で笑うと利広では無く陽子が口を開いた。
「延王。この格好は私が好きでやっているんです。あまりあのひらひらした格好は好きでは無いと、私が主上にお願いしてのこと」
「はぁ……それがいかん!」
「?」
「美しいものは美しくあってこそ」
 どこぞの王のような台詞を吐いている。
「俺ならば陽子を命一杯に着飾らせるのになぁ」
「私だって出来るならそうしたいよ。でも本人が嫌だと言うものを無理強いする訳にはいかないだろう」
 どんな事情があってかは聞いていないが、陽子は剣さえ携える。
 使令の代わりに私が主上をお守りしますと言われた利広の気分は、誰にもわからないだろう。
 利広だって着飾れるものならば思いっきり陽子を飾り立てたいと思っている。素材は良いのだから。
「だいたい本日はいったいどういった用向きでお越しか?延王君」
 いつまでも話が進まないと利広が口調を改めて問いかける。
「陽子に会いに来ただけだ」
「「……。」」
 平然とそう言ってのけた延王に呆れた視線を投げかける利広と延麒。
「それとお前の顔を見に」
 にやりと笑う。性質が悪い。
「延王は大層な暇人なのだね。羨ましいよ」
「大いに羨ましがって構わんぞ。……で、陽子。こんな男がお前の主で良いのか?」
「はい」
 陽子は即座に頷く。
「陽子の願いならば、始末しても良い」
「おい尚隆」
 物騒なことを口にする主に延麒が手をあげる。
「いえ、必要ありません。私の主は利広です」
「そうか」
「はい」
 延王は陽子の穏やかな微笑みを向ける。
 利広が陽子と出遭うまでにいったい彼らとどんなことがあったかはわからないが、ふざけながらも延王が陽子を心配しているのはわかる。
「残念だな。いつでも引き取るから、その時には真っ先に知らせてくれ」
「おとといこい」
 即答した利広に延王はくくくと喉を鳴らした。








 治世六百年の王朝は荒れて倒れた訳では無い。
 王が居なくなった以外は何も変わらず、官吏は国を支え続けていた。
 のんびりしている気風通り、ここぞとばかりに私腹を肥やそうという官吏も無く朝はほとんどそのまま利広に引き継がれた。

 のんびりした気質の奏だからと言って、皆が皆のんびりしている訳では無い。
 多少のことは利広も目を瞑ろう。だがやり過ぎてはいけない。勧善懲悪を気取る気は無いが納めるものは納めて貰わなくては国が立ち行かない。
 税は一割と定められている。だが実際には三割ほど徴収され、実際に国に治められているのが一割らしい。二割は着服されているというわけだ。
 人は与えられたもののみに満足できない。それ以上をどうしても望んでしまう。
「人とは因果な生き物だ」
「主上」
 呟きに並んですう虞に乗っていた陽子が首を傾げる。
 今回の視察は抜き打ちで行われる。利広は王としてでは無く一官吏として紛れ込んでいる。周囲に居るのは地官と夏官の者だ。視察のメインは秋官によって行われ夏官は護衛だ。
 利広が宗王になって以来初めてとなる大掛かりな不正摘発に官吏たちは力を入れているらしい。
「陽子は彼らを憐れと思うかい?」
「麒麟の本能ならば。だが、私は憐れとは思わない。そこにどんな理由があろうと他者を虐げていることは変わらない。無闇矢鱈と慈悲を垂れ流す気は無い」
「何というか……陽子は漢らしいね」
 どんな罪人でも麒麟ならば憐れと言う。それに従っていては国が立ち行かない。しかし無視をし過ぎれば天命を失うという。
「罪の何たるかを知らぬ私が情だけに流されれば政を邪魔をするだけだ」
「強いね」
 羨ましいほどだ。
「強くなんか無い。臆病なだけだ」
 ぐっと陽子は手綱を掴む。
「私はあちらで異質だった。いつも人の顔色を見て生きていた。麒麟だと言われても私にはそれが何なのかわからない。ただ、ああ、私はやはり異質だったんだとわかっただけだ」
「陽子は陽子。私にとってはそれだけで十分だ」
 利広の言葉に陽子は瞠目し、静かに笑った。
 それが利広には悲しい。きっと陽子はもっと明るく笑うことが出来るはずだ。麒麟であることが陽子を苦しめている。
 麒麟とは憐れな生き物だ。王と共に生き、王と共に死ぬ。その存在をやめることは出来ない。
 陽子がただの人であったなら……意味の無い仮定を思い浮かべて利広は苦笑した。
「さてと、そろそろ目的地だ。気を引き締めていこうか」
「御意」
 州城が見えてきた。


 突然に襲来した国官の集団に州城はちょっとした騒ぎになった。心に疚しいことが無くても突然の訪問は混乱を招くだろう。
 右往左往する州城の官吏たちと、掻き集められる書簡の山を片っ端から確認していく秋官たち。その様子は鬼気迫っていた。護衛のためについてきた夏官たちは肩身が狭そうに邪魔にならないように離れつつ、官吏たちが余計な真似をしないか見張っている。
 どうやら州城を不在にしていたらしい州侯が誰かから国官襲来の報を受けて慌てて戻ってきたらしく、秋官の責任者に文句を述べているが今更遅いというものだ。だいたいどんなに言い訳をしようとこちらは主上の勅命を受けている。そして逃れようのない証拠を得るべく優秀な官吏を選抜している。
 ご愁傷様、自業自得と言ったところだ。
 そして同行しただけですることも無い陽子と利広は夏官の振りをして、州城を徘徊っていた。
「どことなく清漢宮に似ている」
「まぁ、同じ国の宮殿だしね」
 しかし清漢宮に比べてやはりぐっと格が落ちる。
「どうしてここに来たんだ?」
 王としての存在を明かさないのならば、清漢宮で報告を待てばいい。
「ここの州師に知り合いが居ると聞いたものだからね」
「珍しい」
「何が?」
「主上が昔の知り合いに会おうとするのは初めてだ」
「そうだったかな」
 はぐらかすような利広の言葉に、いぶかしむように陽子は見上げた。
 六百年という、陽子にとって信じられない時を生きている利広は陽子に話していないことも多いだろう。本人が意識せずとも。全てを話せというのは無理だ。
「本当に、会うべきかは……わからないが」
「主上」
 会って何がしたいのかと問われれば答えられない。
「会えなければそれで構わない」
「友人か?」
「……微妙だねぇ」
 その利広の返事こそが微妙なものだ。
 二人は言葉を交わしながら夏官府へと足を向ける。
「主上はよくわからないな」
「陽子の十倍どころでなく人生を重ねているからね。そうすぐにわかってもらっても困る。兎角男は見得を張りたがる生き物であることだし」
「?見得なんて張ってどうするんだ?」
「格好いいところを見せたいのかな?」
「本当にそう思っているのか怪しい言い方だ」
「まぁそこは複雑な男心というところで、情けないところを見せて同情を引くっていう手もあるし」
「?何の話だ?」
 妓女を落とす時の手練手管とはさすがに麒麟である陽子には言えない。
「今回ばかりは風漢をあてに出来ないのが痛いっていうことさ」
「風漢?誰だ?」
「延王だよ。腐れ縁の彼を私はそう呼んでいた」
 下界でしか会わないはずの延王と雲海の上、王として会うことになるこの皮肉。だが、太子であったならまだしも王となっては……彼は絶対に利広の願いを叶えることは無いだろう。
「陽子は随分と延王と親しくなったようだね」
 そう言うと陽子は少し困った顔をして、うんと小さく頷いた。
「真面目なのか不真面目なのかよくわからない人だ。だけど信用は出来る、と思う」
「なるほど。陽子は人を見る目がある」
「そうでも無い。騙されて娼館に売られそうになったし」
 ぽろりと零された事実に利広は目を瞠る。
「それはよく無事で。本当に良かった」
「人を疑うのは簡単だ。盲目的に信じるのも……でも、その人を知って本当に信じるって言うのは難しい」
「そうだね……人は嘘をつくから」
 陽子は呟く利広の横顔を見つめた。
 と、いきなりその姿が傾いだ。
「っ主…!?」
 違う。誰かに腕をとられ壁に押し付けられている。
 陽子は咄嗟に剣の柄に手を掛けた。

「利広っ」

 唸るような低い声で男は利広の首を締め上げていた。
 利広の名を知っているということは知り合いなのかもしれないが、この暴挙はいただけない。
「その手を放せ!」
 主に害意を持って近づく相手に気づかなかったとは不覚としか言いようが無い。
 陽子は己の不甲斐なさを噛み締めながら利広を戒める相手に剣を抜き放った。
「放せ。放さねば、殺す」
「陽子、大丈夫。大丈夫だから……侶醇(りょじゅん)」
 利広は男の名を呼んだ。
「久しぶりだね」
「っぬけぬけとっ!」
 相手の男が利広の何に怒っているのかわからない。
「恨み言は聞いてあげるから……放してくれないか?私の麒麟が心配している」
「麒麟っ!?」
 利広の視線を辿って陽子に辿りついた男の目が驚きに見開いた。そうだろう。何しろ麒麟らしい外見など一つも無い上に剣まで抜き放っているのだから。
「嘘をつくな!俺は騙されんぞっ!!」
 その瞬間に傷ついた陽子の目、そして瞬きと共に諦めを宿す瞳に利広が笑う。鋭い光を目に宿して。
「侶醇。赤麒麟なんだよ、陽子は。私のことは構わないが、彼女を否定することはこの国の民全てを否定することだ」
「主上。その男が私を麒麟と認めようと認めまいが、主上に害を及ぼそうとしているのは明白」
「彼がそうするのも仕方ないと私は思っているのだよ」
「理由があれば人を傷つけても良いのか?そんな訳が無い」
 陽子の真っ直ぐな視線に曝された侶醇は、利広を見て気まずそうに首を掴んでいた手を放した。
「その言葉そっくりそのままこの男に言ってやってくれませんかね。失礼致しました、台輔」
 侶醇が陽子に訴える。
「この男は主上どころか台輔までも手にかけた!そして俺は…っ何も出来なかった……こいつが英清君を殺害した返り血で血塗れになりながら笑っている姿が……俺は忘れられんっ!」
 そして、侶醇は殺気に満ちた視線で利広を睨みつける。
「そんな奴が宗王となるなど……っ天は間違っている!」
「私もそう思うよ」
 あっさりと侶醇の糾弾を認めた利広にぐっと拳を握る。
 今にも殴り掛かりそうだ。

「では、天では無く私が間違っているのだろう」

 静かな呟きに男二人の視線が注がれる。
「主上を主に選んだのは私だ。出来損ないの麒麟だから、私は天の導きを正しく受け取れなかったのかもしれない。責められるべきは主上では無く、私だ」
 陽子は剣を収め、ゆっくりと二人に歩み寄るとその間に割り入った。
「どうしても主上を認められないならば私を殺せ。そうすれば新たな麒麟が、今度こそ正しい主を選ぶだろう」
 対した侶醇がくしゃりと顔を歪めた。
「奏の民である俺が……台輔を害するなんて出来るわけ無いでしょう……」
「もしかすると私は麒麟では無いのかもしれない。得体の知れない妖魔である可能性もある」
「そんな馬鹿な」
 侶醇は言葉を切り利広に目を向け……そして陽子を見た。
「いや、貴方は間違いなく麒麟だ。利広のような酷い人間を『主』を呼べるような慈悲深い相手が麒麟以外で居るはずが無い」
「酷い言われようだ……」
 利広が肩をすくめる。
「事実だろうが」
「敢えて否定はしなけど」
 重い空気が軽口の応酬と共に抜けていく。
「すまなかった。これは俺の八つ当たりだ。守るべきものを守れなかったのは俺の弱さだ」
「そう自己完結してしまっても身も蓋も無い。己のみの責任なんてものは無い。こうして顔を見せたのはその恨みをぶつけてもらうためだったのだし」
「つくづく性質の悪い奴だな」
「そんなこと今更だよ。長い付き合いなんだから」
 わかっているだろう?と視線を向けられ侶醇は呆れ混じりに首を振った。
「まぁ、本題は別にもう一つあるんだけど」
「おい」
「清漢宮に戻ってくる気は無いかな?」
「何のつもりだ?」
 利広は食えない笑みを浮かべたまま、それを侶醇は嫌そうに見る。陽子は会話に割り込めないまま、二人の話を黙って聞いていた。
「陽子……宗麟はね、見ての通り麒麟でありながら剣を取る。そして私を自ら守ってくれているんだ」
 自慢話かと突っ込みそうになった侶醇は、利広の笑いながらも真剣な眼差しに口を閉ざした。
「でもその陽子を守るべき者が居無い」
 利広の言葉に陽子が驚いたように目を見開いた。
「っ主上!私には」
「必要だよ。私を君の主だと言うのならば、私だって君の身を心配して当然だろう?」
 必要ないと言い張ろうとした陽子を穏やかに諭す。
「……」
「この宗麟の傍で、彼女の身を守って欲しいんだ。私を守れとは言わないから」
「何故俺に言う?」
「気紛れ」
「おいっ」
「冗談。侶醇の剣の腕は知っている。その一途さもね。君は守ると言ったものは命を賭けてでも守ろうとする」
「そして結局守れなかった俺に対する皮肉か」
「違うよ。その頑固なまでの誠実さを買っているんだよ」
「……」
 喜びとも悲しみともつかない表情を浮かべた侶醇は顔を俯かせる。
「今すぐに返事を、とは言わない。もし応じてくれるならば清漢宮を訪れて欲しい」
 利広はそれだけ告げると陽子を促し、侶醇の脇を通りすぎた。





『もしもの時には、私を殺してでも宗麟を……陽子を守ってくれ』
 利広は通り過ぎざまにそんな言葉を残した。











昔の作品を振り返ったらそういえば、こういうのも書いていたなあと見つけたので。
今からかれこれ・・・8年前。

うん、私。わりと利広との組み合わせ好き・・・なのでしょうね!(笑)