■ 白昼夢 ■








 慶国・金波宮。
 そこにおわします主は、治世300年を数える偉大なる女王にあらせられます。
 初勅にて伏礼を廃された女王は、次々に差別の文言を無くし、人々の暮らしを安寧に導かれたのでございます。
 ”我が主上は素晴らしきお方、その上美しい”
 民の謡う王自慢には必ずそんな言葉が決まり文句としてつけられるのでありました。

 さて、我らが誉れ高き女王は本日も金波宮にて有能な官吏たち共に政に励んでおられ―――・・・・



「主上、どちらへお出ましですか?」
 窓枠に足をかけた、まさにその時。計ったかのように背後から静かな声が掛けられた。
 つ、と背中に見えない汗が流れる。
 その体勢のまま、陽子は顔だけをぎぎぎ、とまわした。
「や・・やぁ・・・浩瀚」
 そこには鉄壁の笑みを湛えた慶国冢宰が立っていた。
「拙めの記憶では、これから朝議であったと覚えておりますが・・はて、記憶違いでありましたか。全く、長く生きて
 おりますと記憶もあやふやとなり、情け無いことでございます。主上、どうか主上の偉大なる慈悲を持ちまして、
 この愚かな臣めに是非ともご教授願いたく存じ上げます」
 すらすらと流れるような言葉に陽子は苦虫を100匹ほど噛み潰したような顔で、未だ窓枠に掛けていた足を
 そろりと下ろした。
「――― 意地が悪いぞ、浩瀚。お前に慈悲の心は無いのか?」
「拙ごときの卑小なる慈悲を主上に奉るなど畏れ多いことでございます」
「・・・何故、今日に限ってお前が来るのだ。いつもは景麒が迎えに来るのに・・・」
 恨みがましい主の言葉に、浩瀚は浮かべた笑みを絶やさないまま答えた。
「勘、でございます」
「・・・・・・。・・・・・」
 勝てない。
 300年王をやってきて、それなりに成長したと思うのだが、この冢宰にはどうしても勝てない。
 ・・・陽子は誤魔化されてくれない相手に、正攻法で攻めることにした。
「今日だけ、見逃してくれないか。頼む!」
 こちらに神仏に祈る習慣は無いが、陽子は反射的に手を合わせて浩瀚を拝んだ。

「・・・・主上」
 浩瀚は笑みをおさめ、吐息をついた。
「主上、私は主上をご信頼申し上げております。朝議を欠席されますからには、何かご事情がおありなのでしょう。
 どうか、お話いただけませんか?黙っていろと申されますなら、ここだけのお話とさせていただきますゆえ」
 浩瀚の言葉に、僅かに逡巡した陽子は・・意を決したように口を開いた。
「延王に・・」
「延王君に?」
「―――― 危機が迫っているのだ」
「・・・・危機?」
 陽子は重々しく頷く。
「六太君に貰った手紙に書かれていたのだが・・・延王が、あの延王がっ」
 陽子は拳を握り締める。
「一ヵ月もの間、王宮に留まっているというのだ!」
「・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・」
 信じられるかっ!?・・・と言わんばかりの陽子の勢いに、浩瀚は言葉をなくした。
 ――― 今さらのことながら、王とは王宮に居るもので、それは珍しいことでも何でも無い。
 ごく、至極『当然』のことなのだ。
 それを『危機』だなどといわれる延王っていったい・・・?
「きっと何か重大事があられたに違いない。・・・もちろん、私が行って解決するような簡単なことでは無いだろう。
 けれど、何かせずにはいられないのだ。延王は私にとって大恩人であられるし・・・何より」
「・・・・・何より?」

「――――――― 尚隆は、とても大切な人だから」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
 今、何と仰いました?
 浩瀚は言い返すことも忘れ、ぽかんと口を開いた。
「だから、大恩人で・・・」
「いえ、そうではなく」
 繰り返そうとする主の言葉を遮ることも、今の浩瀚には躊躇する余裕は無い。
「??・・・尚隆が・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 いつの間に・・・いったいいつの間に。

 (延王のことを、お名前で呼び合う仲におなりあそばされたのですかっ!!!!)
 浩瀚は心の中で叫び声をあげた。

 いつの間にも何も、300年も付き合っていれば名前ぐらい呼び合ったっていいじゃないか、というツッコミは
 浩瀚にはきかない。
 主上(陽子)は、神聖にして犯すべからず。慶国の宝。至宝である。
 何ものにも変えがたい尊いものなのだ。
 隣国の王いえども、例外では無い。
 それが。
 それが・・・。

(主上ーーーーーーっ!!!)

 我らが主上がぁぁぁっ!!!

















「・・・・浩瀚・・・・浩瀚?」
「・・・・しゅ、主上・・・我らが主上・・・・っ」
「浩瀚っ!」
「!?・・・しゅ、主上!」
 はっと目前に迫った麗しき尊顔に、浩瀚は目を見開いた。
「・・ど、どうしたんだ?」
 驚く浩瀚に、驚いた陽子が問いかける。
「・・・主上?」
「ああ?」
「・・・・・・・・・。・・・・・・・・・」
 不審そうな陽子に、浩瀚はゆるゆると記憶を取り戻していく。
 そう。・・・自分は、朝議にかける予定の議題を確認するべく、主上の元へ赴いたのだ。
 そうだ。そうだった―――― はずなのだが。

「突然ぼんやりするから驚いた」
 そして陽子はくすりと笑う。
「浩瀚でもこのようなことがあるのだな。何やら新鮮だ」
「・・・誠に申し訳ございません、主上」
「とんでもない。むしろ完璧すぎる冢宰より、私はほっとしてしまう」
「・・・・主上、どうかもうお許し下さい」
 冢宰の微笑ましい失態に、女王はくすくすと笑い続ける。

 浩瀚ははぁ、と諦めの吐息にみせた安堵の溜息をついたのだった。



 曰く、夢で良かった――― と。







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陽子に「尚隆」と呼ばせたかっただけなのに
何故か、変な浩瀚が・・(涙)