■ 玉樹後庭花 ■







 治世300年を過ぎ、揺るぎの兆候も無い国を支えるのは慶国女王である。
 女王とは相性が悪いと言われながらも300年。最早誰もそんなことは口には出来ない。
 それこそ謀反人ぐらいのものだろう。
 さて、そんな民に慕われ愛される景女王は執務室で顰め面を晒していた。



「………これはいったい何なんだ?」
「ご覧下ればおわかりになるように、天官長からの嘆願書でございます」
 冢宰はしらっと答えた。
 ちなみに現在の天官長は祥瓊が務めている。冢宰以外のそれぞれの官府の長は数十年ごとのローテーションを組んでいるのだ。
「だから、こんなものがどうして天官長から…」
 見るのも嫌だと遠ざけて、陽子は文句を垂れる。
「天官長だからでしょう」
「………」
 ますます嫌そうな顔になる陽子に、浩瀚は苦笑した。
「それほどにお嫌ですか?」
嫌だ
 即答だ。
「だいたい何で今更……大公を迎えろ、なんて」
 祥瓊は言い出したのか。
 陽子は深い深いため息を吐き出した。
「別に子供が作れるわけでも無し。形ばかりの夫なんて必要ないだろう?」
「左様でございますね」
 これまたあっさりと浩瀚は頷いた。
 確かに女王が大公を迎えるとなれば、安定している朝廷に混乱を招くのは必至。聡明な祥瓊がそれを考えないわけが無い。その上でこの嘆願書を出してきたというのは相当切羽詰っているのだろう。
 浩瀚は、天官長の心中が痛いほどによくわかった。わかっていないのは目の前の主くらいのものだ。

「実は、主上」
「ん?」
「金波宮では、ただ今女官が増殖の一途を辿っております」
「へぇ。それで?」
 その総元締めは天官長の祥瓊だ。役に立たない人間を置いておくわけがない。そのあたり陽子は祥瓊に全幅の信頼を置いている。
「その理由がおわかりでしょうか?」
「…?何か大きな祭事は予定に無いよな…人手が足らないってことも無いと思うし…何故だ?」
 浩瀚は無邪気に問い掛ける主に、溜息をつきたくなりながら理由を述べた。
「そもそも王宮に女官勤めに上がるということは、上流階級の嫁入り前の娘にとって一種の箔付けです」
「ああ、そうみたいだな」
 話に聞いたことがある、と陽子は頷く。
「200年ほど前よりわが国も安定し、その傾向は強くなっております」
「そうなのか」
「はい。喜ばしいこととは言えます。…が」
「が?ダメなことがあるのか?」
「普通ならば一旦行儀見習に王宮に女官として伺候した者は、一定の年齢になれば辞職して下界に戻ります。しかし我が国ではそのまま王宮に留まる女官が約8割」
「8割!?…凄いな。ほとんど残るのか。皆仕事熱心なんだな」
 暢気すぎる主の言葉に、浩瀚は額を押さえたくなった。
「主上、喜んでいる場合ではございません」
「どうしてだ?」
「行儀見習のためだけに王宮に伺候させたのに、戻ってこないとはいったい何事かとその親たちからの苦情が天官長のもとに寄せられているそうです」
「それはおかしいな。彼女たちが自分の人生をどう生きるかは勝手だろう?親だからといってどうこう言う資格は無いと思うが?」
「確かにその通りでございます。ですが、親たちも娘の身に何かあったのでは無かろうかと心配しているのでしょう。もっとも苦情の手紙が寄せられた娘に対しては天官長が親宛に事情を記した手紙を書かせるように指導しているようですが」
 そのせいで時々キレそうになっている祥瓊の姿に、天官府の役人たちはびくびくしている。
「では、万事納まっているじゃないか」
「そうは参りません。そもそも、女官たちが王宮に留まりたいという理由が理由なのです」
「理由?」

「 主上 です」

「・・・・・・・私?」
 訳がわからない、と陽子は自分を指差した。
「主上に一度でも声を掛けられた女官は、酷く心酔し、離れがたくなるのだそうです」
「・・・・・・何で?」
 そう問われるだろうことはわかっていた。
 これで察してくれるなら、元からこんな事態にはなっていなかったのだ。
 主への説明を押し付けた天官長が恨めしくなる。
「主上。主上は、彼女たちにとって、そのへんの男たちより、百倍も、千倍も万倍も魅力的
 なのです」
「・・・・・・・・・・」
 いつになく強調してみせた浩瀚に陽子が顔をひきつらせる。
「彼女たちの主上を見つめる視線。あれはもう・・・・『恋する乙女』そのもの」
「まさか・・・・」
 笑おうとした陽子は、恐ろしいほど真剣な冢宰に口を閉じた。
 陽子には告げていないが、その影響でとんでもない被害を受けた冢宰である。そのために祥瓊に借りを作ってしあい、こんな厄介な仕事を押し付けられた。

「・・・わ、わかった」
 と引き気味に言った主は、きっとわかっていないに違いない。
「・・・それが私が大公を迎えなくちゃいけないのとどう繋がってくるんだ?」
「つまり、天官長は主上に決まった『伴侶』が無いからこそ、女官たちの熱も留まるところを知らず上昇しまくり、このような状態を招いたのだろうと判断したのです。主上が大公をお迎えくだされば、女官たちの糸のような希望の欠片もあっけなく断ち切れて事は万事うまく収まると」
 まぁ、中にはますます熱を上げる連中も居るだろうが、それでも女官は減る。絶対に。
 黙って聞いていた陽子はうーーと唸った。
「だが、それは問題があるだろう?」
「どのような?」

相手が居ない

「・・・・・・。・・・・・・」
 まさしく色事には無関心な主らしい台詞である。
「まさか延王に頼むわけにもいかないだろうし・・・」
「絶対におやめ下さい!」
 延王ならふざけて付き合いかねない。
「わかってるって。雁国の官吏に恨まれたくないからな。・・・しかし、そんな理由で大公を選ぶわけにはいかないだろう?第一相手に悪いだろうし・・・」
 ちらり、と陽子が浩瀚を見た。
「・・・臣めは謹んでお断りいたします」
「まだ何も言ってないだろう・・・」
 むっとした陽子は・・・はっと顔を輝かせた。
「適任が居るじゃないか!」
「・・・・誰でしょう?」




景麒だ!



 ・・・・そちらに行ってしまわれたか・・・・

 これから起こるであろう、王と麒麟の・・・傍迷惑な主従の争いを思って、浩瀚は嘆息した。








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天香国色2の後くらいです。