■ 肝試し ■



−後編−









 少し時は遡り、祥瓊率いる女官たちに鉄壁の布陣で固められた陽子はあれよあれよと言う間に朝服をさっさと脱がされて、湯に入れられ、絹地の襦袢に包まれ、肩の凝りそうな襦裙を重ねられる。
 反論する暇も無いほどの連携プレーは、改めて祥瓊の手腕恐るべしと陽子を慄かせた。
 しかも化粧も同時進行で勧められている。
 拘束している相手が男ならば陽子も容赦の一つもなく、叩きのめして自由を勝ち取るところだが生憎といかにも、ふわふわとして壊れそうなか弱い女性である。(陽子談)
 女子供年寄りには、滅法甘い陽子は、我慢するしかない。

「主上のお肌は、肌目こまやかで染み一つございませんから。薄づきで十分に映えますわ」
 普段化粧なんてしない陽子にはそれでも、はたかれる白粉にむせそうだった。
「男装も大層麗しく凛々しいご様子ですが、いささか色みが少ないのが難点」
「その点こちらは、主上のおぐしを十分に引き立てかつお美しさも損なうことなく、かつ華やかさも十分に…ああ!主上。私、主上のお傍に上がれることを至上の喜びに思います・・・!」
 飾り付けられていく陽子をうっとりと眺める女官に顔がひきつる。
「ちょっと、琴響(キンキョウ)!あなた何抜け駆けしてるのっ!…主上!私も主上のお傍近くに侍ることのできる栄誉にこれ以上の喜びはございませんっ。何なりとお申し付けくださいませっ、私にできる…いいえ!例え出来ぬことであろうと主上のお言葉とあらば!!」
「琵響(ハキョウ)!あなたこそ…っ」

「お二方とも、主上の御前ですよ」

「「!!…申し訳ございませんっ」
 年嵩の玉葉の言葉に二人は揃って頭を下げる。
「…無理からぬこととは思いますが、祥瓊様がお待ちであることを忘れずに」
「「はいっっ」」
「・・・・。・・・・」
 私はどうでもいいのだろうか、と陽子は胸の中で呟く。
「主上、主上も滅多にこのように私どもに装わせていただくこと叶いません。慣れぬことゆえこの者たちの無礼、どうかお許しくださいませ」
「いや、気にしては無い。そこまで言って貰えて私は嬉しいくらいだ。王とは民のためにあるものだ。その民に喜ばれて何を咎めることがあろう。琴響、琵響。特に貴女がたのように美しい女性を私一人が独占していることこそ、至上の喜びだ。このような贅沢は本来許されてはならぬのだろうが…心より感謝している」
「「………っ主上!!」」
 呆然と陽子を見詰めていた二人が、陽子の足元にすがりついてくる。
「ああ、もう私、私……っ」
「主上っ!!この身は生涯主上のものにございますっ!!」
「ありがとう」
 いくら何でも大げさなと思いつつ、陽子は持ちうる限りの最高の笑顔で応える。

「・・・・・・・。・・・・・・」
 傍らで、玉葉が額を押さえていた。















「主上、お入りになりました」
「ご苦労さま」
 漸くスタンバイし終わったという報告を部下から受け取った祥瓊は鷹揚に頷いた。





「何だ、景麒。お前も参加か?」
「……主上、いい加減このようなことをされるのは時間の無駄かと」
 執務室から無理やり連行された景麒は怒りよりもはや諦めの色が濃い。
 抵抗しても無駄だというこを、この景麒をして学んだのかもしれない。
 やはり恐るべし祥瓊。
 表の支配者が浩瀚ならば裏の支配者は祥瓊だ、と陽子は重々承知している。
「それにしてもお前はいつもの格好のままというのは不公平じゃないか」
「私は主上の引き立て役だそうです」
「……お前、そんなこと言われて情けないとか……」
「いつもならば男装しかなさらない主上に正装までしていただき、お傍に上がれるのだから役得こそあれ文句など有るはずが無かろう、とのことです」
「…………」
 陽子は絶句した。
「え、えーとそれは祥瓊が?」
「いえ、それぞれの各官の長たちの言葉を要約させていただくとこのように」
「……私はな、王というのは国の下僕だとは思っていたが…金波宮での私たちの立場はあまりに低すぎると思わないか?」
どなたがその要因を作ったとお思いか
「………」
 どなたも何も陽子しか居ないだろう。
「ま、それもいいのではないか。それだけ優秀な官が多いということだろう。人手が足りずぴーぴー言っていたころの私が今の私を見れば、『文句を言うな、贅沢だ』くらい言うだろうな」
「………」
 景麒は心の内で溜息をついた。
 そんな陽子だからこそ、官吏がああなってしまっているのだが…
 きっと本人に言っても無駄だろう。
 それに景麒とて、実のところ『役得』という言葉に間違いは無いと思っている。
 美麗に装われた陽子は、目にした瞬間言葉を無くしたほどに美しい。
 美しい、と表現される人間は多々あるだろうが…まさに息を呑む。
 翡翠の眼光はまっすぐに対象を貫き、きりりとした目元とあいまってきつい印象を与えるが、ふわりと綻ぶ口元がそれを和らげる。

「しかし、いつものことだが正装というのは肩が凝る。いったい誰がこんな面倒なものを考えついたんだろうな。是非とも文句を言ってやりたいものだ」
「少なくとも…主上のような方でないことだけは確かでしょう」
「それはそうだ。何しろ朝服でさえ面倒だと思うことも多いくらいだからな」
 はっはっは、と笑う女王は、装いに反してどこまで男らしかった。












「将軍、判別隊揃いました」
「ご苦労」

 陽子や長たちが堂室に入る少し前、中庭では10人の禁軍兵士たちが集結していた。
 隊長らしい人間が桓魋に膝をついて報告する。
「一名ほど急用で来られませんでしたが、代わりの者を選んでおきました」
 桓魋は頷く。
 …が、少々驚いてもいた。この任務は禁軍に与えられる任務の中でも群を抜いて人気が高く、過去には
親が死んだのに、『こちらのほうが大事ですからっ!』と言い張って参加した馬鹿者も居るほどで。
 ……まぁ、いい。人それぞれだろう。

「起立」
 掛け声に一糸乱れず揃う様は、彼らの訓練が行き渡っているのだと知れる。
 顔には、どこか誇らしげでいて緊張を隠しきれない様子があるものの・・・
「これからの任務について、わかっているだろうと思うが…」
 念のために、と説明を始めようとしたところへ、がさりっと茂みが動き…何かが飛び出した。



「お待ちくださいっ将軍!!」



 剣の柄に手を置いていた一同は、同僚の登場に顔をしかめた。
「隼火(しゅんか)、いったい何事だ。お前は確か急用で……」
 隊長である朗爛(ろうらん)の言葉に、桓魋は目の前に現れた兵士が当の人物であったことを知った。
「違いますっ!!俺は急用なんかありませんっ!こいつに陥れられたんですっ!」
 びしっと指差した先には、明後日のほうを向いた兵士が一人。
「鷹劾(ようがい)、確かお前は隼火が急用で来られなくなったから自分が代わりにと私のところへ来たはずだが?」
「はい。…確かに急用と言いましたが、実際は急病です。…隼火の名誉に関わることもあると言い出せなかったのですが、彼は昨夜の餅の食べ過ぎで腹を壊したのです」
「嘘をつけ!嘘を!俺が食ったのは5枚ほどで断じて腹を壊すほどの量じゃない。お前が一服もったんだろうがっ!!」
「心外だな。同期の俺だから許してやるが他の者であれば即刻決闘騒ぎだぞ?」
「だったらこれは何だ!!お前の机の引出しに入っていたぞっ!!」
 隼火が小袋を取り出し、目の前につきつける。
 ちっと舌打ちした音がした。
「俺がこの判別隊に選ばれたと知った時からどうもお前の様子が変だと思っていたら…」
「・・・変で悪いかっ!どうしてお前が選ばれて俺が選ばれない!?ありえないだろっ!!」
 ついに開き直った鷹劾。
「そんなことは簡単なことだ。俺のほうが優秀だから、だ!」
「はっ、一服もられてもわからず平気でばくばく餅を食ってる奴が優秀なものか!」
「何をっ!」
「だいたいお前、腹痛はどうした?今日一日は動けないはずだが…」
「そんなもんっ根性でどうにでもなるわっ!!」
「この非常識め。病人は大人しく寝込んでいればいいんだよっ」
「そうはいくかっ!この任務はな、この任務がどれほど特別なものか………主上の晴れ姿を間近で拝し奉る機会など、正月でも無いんだぞっ!!」
「そんなことはこっちだって同じだ!せっかくの機会を逃してたまるかっ!主上のお姿を拝見するためなら俺は何だってするぞ!!」

「……将軍」
「…………」
 郎爛の物言いたげな視線に、桓魋は頭を抱えそうになった。


(主上………お恨み申し上げますよ)


 ぎゃーぎゃーと未だにわめきあっている二人を、とりあえず黙らせるように指示して…元凶である陽子に深い深いため息を吐き出した。















 扉が軋む音がした。
 漸く、誰かが入室したらしい。
 着飾らされて椅子に座っている陽子は、傍らに立つ半身に視線をやり、頷いた。


「ご苦労。春官府代表、春望に間違いないな。こちらへ」
 景麒があらかじめ渡されていた名簿を確認して、入室者を促した。
「・・・台輔・・・?」
 何でこんなところに・・・?
 そう言いたげに首を傾げかけた春呆は、その隣に座した陽子に気が付き目を見開いた。
「春望、こちらへ。主上より、お言葉を賜るように」
 しばらくそのまま彫像のように固まっていた春呆は、ぎくしゃくとした動きながらも、陽子まで
あと10歩といったところで立ち止まった。そして膝をつき、拱手する。

「顔を上げてくれ」

 陽子の言葉に拱手とともに下げていた顔をあげる。
 しかし、陽子の顔を見るや、まるで怖いものを見たかのように再び視線を落としてしまう。

        そんなに私の顔はスゴイことになっているのか・・・・?)

 恐ろしく飾りつけられていることは確かなのだが、陽子は自分の姿を確かめていない。 
 確かめる暇もあらばこそ、せきたてられるようにこの堂室にやってきたからだ。
 ちらり、と景麒を見ると、目線で『さっさとしろ』と促してくる。
 いい加減付き合いも長いせいか、遠慮も容赦も無い。
 陽子は溜息をつきそうになるのを呑み込んで、脇に置いてある『合格証書』を手にとった。
 それは、ちょっとした達成の証というだけで価値なんて少しも無い。
 中身は、『よく頑張りました。これからも頑張りましょう』・・・と似たりよったり。

「春官府は……まぁ、色々と大変だと思うが頑張ってくれ」
 空白部分に、祥瓊への思いが詰め込まれている。
「恐れ入ります」
 差し出された『合格証書』を恭しく受け取った春呆は、僅かに下がる。

「退出は、あちらの扉より。そして隣の堂室に入るように」
「はい」
 景麒の案内に、静かに頷く。
 もう一度、陽子と景麒に拱手して、春呆は部屋を出て行った。

「…さすが、春官府。祥瓊が推薦してくるだけで無事に出て行ったな」
「左様で・・・」




 バキボキバキィィィっっッ―ッ!!




『大変だーっ誰かが枝に・・っ』
『倒木してるぞっ!!』



「「・・・・・・。・・・・・・」」
 いきなり騒がしくなった外に二人は顔をあわせ、沈黙した。

 いったい外で何が起こったのかは、わからなかったが陽子と景麒は気を取り直して、次の新人官吏を迎え入れた。

 …が、入ってきていきなり何も無いところで躓き、見事な顔面スライディングを決めた。
 陽子は思わず拍手しそうになる手を止め、景麒は呆気にとられている。
 これが隣国の麒麟ならば、使令に命じて『わざと』という可能性も考えられるが堅物の景麒ではそうはいかなり。
 とりあえず、ごほんっと咳払いして景麒は名を呼んだ。


「秋官府、飛運(ひうん)。主上の御前に」


「ははははひっ!」
 嫌な沈黙を振り切るように、素早く立ち上がった飛運はその瞬間。
 『あ』という形に口を開いたまま、陽子を凝視した。
 恐らく、初っ端からコケルなどという失態を演じた上に、更なる恐慌が彼を襲っているのだろう。

 ――― え?..え?しゅ、主上?主上って、…えぇっ!?

「飛運。こちらへ」
 そんな飛運に、笑ってしまいそうになるのを何とか押しとどめて陽子は鷹揚な笑みを浮かべて自分の前を示す。そこで再び、わたわたと…顔色も赤青明滅を繰り返して、(…見ているだけで面白いな、と陽子は満足だった)飛運はぎくしゃくと歩き出した。

 ・・・が。

「ぅ・・・わっ」

 飛運が飛んだ。
 何も無い床に足をとられ、見事に宙を飛ぶ。
 
「ひっ」

 飛運は、宙を飛びながら…その落下地点に居るであろう……陽子だ。つまり彼の主だ…景王の優美にして秀麗な圧倒的な美貌を視界に入れつつ、悲しむのを飛び越えて絶望した。
 このままいけば、間違いなく景王に頭突きをかますことになる。
 自分の未来は終わった、と儚い命だった、と飛運の意識はすでに半分飛んでいる。

「班渠っ!」

 景麒は叫んだ。
 




「・・・っ!!」
 衝撃を予想し、目を閉じていた飛運がうっすらと目を開けると…どこか心配そうな景女王の顔が間近にあった。

「!!!!!!」

 悲鳴さえでない。呼吸も出きない。
「…大丈夫か?」
 鮮やかな紅をさした、艶やかな唇が動く。
 頷けばいいのか、否定すればいいのか…飛運にはすでに判断できない。
「班渠、そろそろ下ろしてやってくれ」
 その女王の視線は飛運を通り越して、その背後に。

(―――― ハンキョ?)

 護衛の一人であろうか、と振り向いた飛運は………間近に迫った妖魔の顔に。
 かくり、とついに意識を失った。

「え?…おいっ…」
 陽子が最初は遠慮がちに、そしてかなり容赦なく飛運の頭をべしべし叩く。

『……申し訳ございません、主上』

「いや、お前は悪くない。…そんなに恐い顔してないのにな。景麒の顔のほうがよっぽど恐ろしいだろうに」
「主上」
 こちらにきてから、妖魔なんて日常茶飯事となっていた陽子、使令として常に傍に置いている景麒。自分たちは一般人とは比べ物にならない規格外なのだ、といつになれば自覚するのか。


 ………恐らく、永久に無理だろう……












「うん、今回もなかなか楽しめたな」

 一通り面通しが終わって、陽子は豪奢な衣裳のせいで凝ってしまった肩をこきこきと鳴らしながら、隣室の長たちが集まるのを待っていた。
「何やら、頭痛がいたします・・・」
 景麒にとっては、果たしてあんな官吏ばかりで慶の未来は大丈夫なのかと、心底不安でならないらしい。そのうち金髪に10円ハゲが出来るのではなかろうかと、陽子は楽しみにしている。
 景麒付きの女官たちには毎日入念に景麒の部屋にある鏡は磨いておうように命じている。
「大丈夫だろう。毎年楽しませてくれるけど、楽しませてくれるぶんだけ有能なのも多いし。景麒についた新しい令尹だって、50年前くらいに受け取った紙をその場で食べるなんて荒業を披露してくれたじゃないか」
「・・・・・・・・」
 その荒業を披露した人物はことあるごとにそれを陽子に笑われて、勘弁して欲しいと景麒に泣きついてきたことがある。その縁で景麒の令尹を勤めることになったのは、彼にとって良かったのか悪かったのか…。

「失礼いたします、主上、台輔」
「うん、入れ」
 冢宰の声に、返答すると長たちがぞろぞろと入室してくる。
 満足そうにしている顔もあれば、至極不満そうに・・・というか、祥瓊が殺気立っている。
(恐らく春呆がヘマしたせいだろう・・・)
 陽子は浩瀚と素早く視線を交わした。触らぬ神に祟りなし、作戦だ。
「今回の合格者は、冢宰府と秋官府…地官府か」
 陽子の確認に、それぞれの長は満足そうに大きく頷く。
「冢宰府はこれでまた記録を伸ばしたな。かれこれ20年ばかり連勝中じゃないか?」
「恐れ入ります」
 元々、陽子の近くで仕事をしているという利点があるとは言え、さすがに浩瀚がこれぞと代表に選んでくるだけある。興味無さそうなふりして、実はかなりの競争心を抱いているらしい。
 特に春官府に。
「春官府は誠に残念でございましたなぁ。冢宰府と競うておられましたのに」
 誰もが思っていながらも口にしなかった事を口にした命知らずの発言をしたのは冬官長大司空だった。
日頃あまり春官府と付き合うこともなく、祥瓊の恐ろしさを知らないものと思われる。
「そうですわね。とても残念でなりませんわ。しかし、これも偏に主上のご威光の賜物。仕方の無いことでございます」
 おほほほ、と口元に手をあて笑っている祥瓊・・・・でも目は笑っていない。
 彼女の目は、大司空に冷たい視線を突き刺している。
 ああ・・・と陽子以下数人が祥瓊から目を逸らす。
 
(冬官長よ、強く生きてくれ・・っ!)

 心の中だけで陽子は、大司空にエールを送った。


「ま・・・まぁ、とりあえず。一段落したことだし、お茶にするか」
 陽子の言葉に、外見はともかく中身は結構なご老体ばかりである長連中が『左様左様』と頷いている。
祥瓊がきらり、と目を光らせた。
「主上」
 頭の簪に手をやり、外そうとしたところへすかさず声を掛けられ動きを止めた。

「もちろん、主上はそのお召し物のまま・・・私どもにも眼福させていただけますわよね?」
「・・・・・・。・・・・・・」
 訳すと、『そのままで居ろよ』となる。

 陽子は乾いた笑いを漏らし、浩瀚は気の毒そうに視線をそらせた。














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拍手にて連載していた小説前半です。
祥瓊を春官長にするか天官長にするか悩みましたが春官長に。
数十年ごとに冢宰以外はローテーションです(という設定)