真実の在処










 舒栄の元から景麒を助け出した陽子は、弱っている景麒を雁に送り、自分は雁の王師と味方となった州師に
 守られて金波宮へ入った。
 景麒は自分も、と言ったが、血に弱い麒麟が戦場と化したこの慶に澱む気に耐えられるわけが無い。
 ましてや、今まで力を封印され体調が万全で無いのならなおさらに。
 『申し訳ございません・・・主上』
 転変したままの景麒の弱弱しい口調に苦笑が漏れた。

 『主上』

 初めて、そう呼ばれたとき。
 いったい何の・・・誰のことだ、と思った。―――― 他でも無い陽子のことだというのに。
 呼ばれ慣れない『名前』。
 『主上』と呼んで、誰もが陽子に額ずく。
 まるで他人事のようにしか感じられなかったソレが、己の半身である景麒に呼ばれて初めて自覚した。


 ――――― もう戻れぬところまで来てしまったのだ、と。


 主殿の玉座から、官吏たちが並ぶのであろう下方の床を見下ろし、目を閉じた。


 金波宮は玄英宮とは随分違う。
 確かに造りは似通っている。だが、金波宮は閑散とし、冷気が漂っていた。
 楽俊から聞いた地理によると延よりも慶のほうが南にある。寒いわけがない。
 それなのに、背筋をぞくりとさせる。
 きっと人が少ないせいだろう。先代の王は女全てを王宮・・・国から追い出した。
 本当に優秀な官吏は天命を失いつつある女王を見限り、去ったのだろう。
 民や地からの実りがなく、国庫に余裕が無いから、必然的に宮殿の管理もおざなりとなる。
 思い出すのは塵一つなく整えられ、女官たちの気配りがよく行き届いた雁。
 あまりに違いすぎる。
 違いすぎて、塙王のように羨む気すらおこらない。
 慶は巧より酷い。
 確かにそうだろう。
 ろくに人がおらず、土地は荒れ、廃墟となった家屋が立ち並び、苦しむ民を他所に官吏は自分の利益のみを
 求めて不正に手を染める。
 何もかもが無茶苦茶だった。

 ―――― 本当に私はこんな国の王としてやっていけるのか

 ただの女子高生に過ぎなかった陽子には、途方も無いことに思われた。
 
 





「こんなところで就寝か?仙とは言っても風邪をひくぞ、陽子」






「・・・・延王」
 陽子は僅かに驚き、玉座へと上がってくる男の姿を見た。
「明日も戦いがある。休んでおかねばつらいぞ」
「延王こそ・・・」
「眠れぬか?」
「――――― ええ」
 己より遥かに長い生を生きている延王に意地を張っても仕方ない。
 素直に頷いた。
「・・・私は本当に王になれるのかと」
「なれる、では無い。お前はすでに景王だ。景麒が選んだのだからな」
「わかっています・・・・ただ、それが拍子抜けするほど、言っては悪いが、簡単でいい加減だから」
 陽子と玉座の前に並び立った延王は面白そうに眉を上げる。
「今の蓬莱では一国を支配しようとする地位を得るには、積み上げてきた功績や経験、民からの信頼、それなりの
 経済力、その地位を得ようとする野心・・・多くのものが必要です。だけれど私は、ただよくわからない『天意』に
 よって景麒と契約をかわしただけ。それだけで『王』になった」
 王になりたい人間は王になれず。
 王になどなりたくないと思う人間が王になる。
 きっと後者よりは前者の数のほうが多いのだから、その中から王に足る資質を持つものを選べばいいのに、
 全く政治に無関心な無知な子供を王に選ぶ。
「私には天意というものがわからない。―――いい加減過ぎて」
 大きな吐息とともに吐き出した言葉に、延王がくつくつと喉をならして笑い出した。
「延王?」
「いい加減ときたか・・・いやいや、陽子は自分で思っている以上に、なかなかの大物だ」
「そうでしょうか?」
「ああ、間違いない」
 治世500年にも及ぶ大王朝を支える王が太鼓判を押してくれた。
 けれど笑いながら言われても冗談にしか聞こえない。

「戦うのが嫌になったか?」
「―――― 私は」
 初めの戦いの後、陽子は吐いた。
 人を殺し、その血に塗れた自身の身体から耐え難い臭気を感じたからだ。
 胃の中にあった全てを吐き出してもおさまらず、陽子はそっと抜け出して冷たい川に身をひたした。
「――― 戦など無い世界で生きていました。だから戦は嫌かと聞かれれば、そうだと答えます。けれど・・・」
「けれど?」
「他人まかせにして、宮殿の奥に隠れ、ただ朗報を待つようなことはしたくない。王師まで出して助けていただき
 さらにその上にあぐらをかいていられるほど、私は大物ではありません」
「それは気にするな。はっきり言えば慶のためでなく、雁のためにしていることだからな」
「すみません、落ち着かない国で」
「お前が謝ることでは無い。王として陽子が何をするかは、これからのことだ」
 そう、全てはこれから。
 景麒を助け、陽子が王である事実と先への予感が現実味を帯びた。

「―――― 怖いんです」

 弱音を吐いた。
 怖い。とても怖い。
 言葉にすると更に強く思う。

「私もまた国を荒らす王になるのでは無いか・・・延王は・・・王となられるときに思われませんでしたか?」
「俺か・・・」
 延王の口元に皮肉げな笑いが浮ぶ。
「俺が登極した頃の雁は、今の慶さえ豊かに見えるほど荒れ果てていた。ほとんど国全体が荒野だった。国庫
 も官吏にあらされ、何も残っていない。もうそれ以上何をやっても悪くなりそうにないほど最悪な状態だった。
 まぁ、反対に楽だったな。何をやってもそれ以上悪くなりようが無いのだから、何でも出来る」
「そう、なのですか・・・・雁が」
 今の豊かな雁からでは想像出来ない話である。
「もし俺が不死で無ければ、投げ出していただろうな。人の生で出来ることには限りがある」
「そうでしょうか?―――それでも私は延王は諦めなかったと思います」
「随分買いかぶってくれたな。俺は民が称えるほど万能な君主では無いぞ」
「民にそう思われている、そのことが重要でしょう。延王は素晴らしい王であらせられる」
「―――― どうも背中がむず痒い。褒めてもこれ以上兵は出せんぞ」
 真面目な顔で背中に手をまわす延王に、微笑が漏れる。
 ずっと暗い表情しか見せていなかった陽子の久々の笑顔だった。

「怖いのは何も悪いことでは無い」
「延王?」
「逃げ出すことだって、時には必要だろう」
「・・・・・」
「だが、きっとお前は逃げ出しても帰ってくる。違うか?―――陽子」
「延王こそ・・・・・・・・私を、買いかぶっておられる」
「そうかな?だてに500年人を見てきてはおらんぞ」
 楽しそうに陽子を眺める。
 懐の大きな人だ、陽子は思う。
 本当に素晴らしい王、尊敬に値する人。
 迷い人たる陽子の先の道を照らし、遥か先を歩いている。
 
(この人のようになれるだろうか・・・・・この人のように民に信頼される王に・・・・)

「何だ?」
「・・・・いえ。そういえば・・・延王は、ずっと私のことを名前で呼ばれるんですね」
「お前が景王と呼ばれるのは嫌だと言ったからだろう。今からでも変えてやるぞ」
「いいえ!そのままで・・・そのままで構いません」
 延王を本名で呼ぶ人間が滅多に居ないように、陽子を『陽子』と対等に呼んでくれる相手も居なくなるだろう。
「延王と居ると・・・ほっとします」
 妙な意地も意義も、『王らしく』あらねばと思うことも無い。
「・・・微妙だな」
「は?」
「普通、胸が高鳴るとか言わんか」
「いえ、特に。平常です」
 真顔で返す。
「・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・仕方ない、お前はまだ子供だ。そういうことにしておこう」
「???」
 延王は陽子に向かって手の平を差し出した。

「臥室までお送りしよう、迷ってはいかんからな」
「・・・・・ありがとう、ございます」
 取った手は大きく、温かい。
 友人である楽俊とは、また違った温もりを陽子に伝えてきた。

「陽子、この言葉は今より一層の負荷になろう。だが言っておく」
「はい」
 陽子は月光に照られた延王の横顔を見上げた。
「この戦で流された血は多い。だが・・・」



 ――――どうせ玉座などというものは、血で贖うものだ。



「―――――」
「これから先、お前はもっと醜悪なものを目にするだろう。それでも目を背けるな。全てを見ておけ」
「・・・・・・・・はい」
「お前は良い王になる」
「・・・・・・・」
 あまりに確信に満ちた延王の言葉に、陽子に苦笑が漏れる。







「期待しているぞ」







 ――――― どくり、と心臓が強く拍動した。












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陽子がちょっと初々しい感じ?(笑)