■ 劉來と春のある日 ■










 柳絮の飛ぶ様子は春だというのに雪景色のよう。
 白い綿毛を纏った種子が視界いっぱいに飛んでいる様はなかなか壮観だった。
 見ているだけなら美しいと思うだけで済むがあれが服に着くと面倒なんだ……。
 そんなことを窓から眺めてぼんやり考えている。
 いつもなら景色を眺めている余裕など欠片も無い劉來がそんな感慨を抱くほどに暇だった。どたばたと忙しい日々に突然ぽかりとできた空隙。何もすることが無く、何の予定もなく何をするかも思いつかない。いや、思いつくのはつく。ただしそれは仕事に関することだと言うのが笑えない。
 ああ、自分もすっかりと仕事人間になってしまった―――全く嬉しくない。
 この金波宮の住人は多かれ少なかれそんな人間ばかりで『偶にはゆっくり休め』と上司に言われても『それではこちらの書簡を片付けておきましょうか』と別の仕事をやり始めるとくる。全く本末転倒だ。
 休む時には休まなければならないのだ。
 そう考えることからして間違っているのだが劉來はどうにも手持ち無沙汰でやることも思いつかず、とりあえず房室の片づけをしてみたりもしたが元々あまり物も無くあっと言う間に片付いてしまう。気軽に誘える遊び相手が居れば良いのだがそんな相手は居ない。
「暇だ……」
 つい零れおちてしまう。

「それは丁度良かった」

「っ!?」
 至近距離に聞こえた声に視線を上げれば楽しそうに笑っている陽子が居た。
「堯天に遊びに行こう」
「ようっ……」
 その名を口にしそうになり慌てて辺りを見渡す。
「主上」
「陽子で良いよ。お忍びだから」
「……また抜け出して来たのか?」
「人聞きの悪いことを。ただの休憩だ」
「……。……」
 ただの休憩で堯天まで行くのか、とか。また怒られるぞ、とか。色々言いたいことは思いつた。けれど楽しそうな陽子の顔を見て全てを呑み込んだ。
 陽子も楽しそうで、劉來も時間を持て余している。
 何を迷うことがある?

 劉來は差し出された手をとった。






 暑すぎず、寒すぎない絶好の日和は人出にも影響するのか、以前訪れた堯天より行き交う人が多かった。本当に多い。すれ違うだけで肩がぶつかりそうになっている。
「迷子にならないようにな」
 念のために手を繋ぐかと言われて劉來は鼻に皺を寄せる。
「俺を何歳だと思ってる」
 隣を歩く陽子がくすくすと笑った。
 広途には多くの露店が並び様々な品が売られている。肉汁滴る串はその香りで人を呼び寄せ、珍しい玉と使った装飾物はその珍しさと美しさで女たちを集めている。
「兄さん!意中の相手に一本どうだい?」
 そんな露店が幾つか並ぶ前を歩いていると声を掛けられた――― 陽子が。
「良い品があるのか?」
 そして否定せず面白がるように覗き込んでいる。
(お前は贈るほうじゃなくて、贈られるほうだろうが)
 そんな劉來の視線など陽子は気にしない。確かに本日の陽子は見た目だけなら清潔感のある美少年だ。どこかの金持ちの子に見えるかもしれない。
「何かお勧めの品があるか?」
「そうですねえ、うちに置いてある翡翠じゃあ兄さんの目に負けちまうなあ」
 陽子の持つ一対の翡翠は何ものに比べるべくもない至高のもの。その生きた輝きにはどんなものさえ色褪せる。ましてや同じ翡翠など比べるだけ無駄というものだ。店主の言葉は正しい。
「高価なもので無くてよい。可愛らしいものは無いか?」
「お、そういう方向かい、それなら」
 陽子の買う気を感じ取ったのか店主の顔が変わる。
「子供がつけるような可愛らしいものでは無く、妙齢の女性でもつけられる可愛らしいもので頼む」
「へへ、任せておきな。意中の相手に良い返事が貰える一品がある」
 店主はごそごそと台の下を漁っている。どうやら本当に良い品は並べずここぞと言う時に出す仕様らしい。商売上手なことだ。
「さあ、これなんかどうだい?」
 高価そうな繻子が敷かれた上に小さな玉を連ねて花を象った耳飾りがあった。玉は多すぎず、金鎖に繋がっている。
「ふむ……これの色違いとかもう一つないか?」
「おっと兄さん。両手に花かい」
 隅に置けないねえとにやにや笑う店主だが準備していたかのように銀鎖の一品を出してくる。そちらと金を眺め、陽子は頷いた。
「よし、買おう」
「毎度あり!」
 おいおい大丈夫なのか。
 劉來の前ではいつも『金欠』だと言い張って(一国の主が金欠なのは大問題では無いかと思うが)皿洗いさえやり始める陽子だと言うのに。
「今日は大丈夫。そのために用意してきたから」
「まあ、いいけど」
 劉來の心の呟きが聞こえたのか懐から財布を取り出している。
――― 懐から取り出すのもどうかと思うけど。
「劉來は何か買わないのか?」
「……要らない」
 今の劉來の財力なら飾りの一つや二つ買える。
 けれど劉來が贈るなら相手は一人。そしてその相手はこんなところで買ったものでは飾り負けしてしまう。喜んではくれるだろうか似合わないなら意味は無い。
 そんなことを考えている劉來を他所に丁寧に包まれた箱を受け取った陽子が次を指し示す。
 先ほどの良い匂いを漂わせていた串焼屋だった。
「おやじさん、二本くれ」
「あいよ!二本だね!」
 頼み方に迷いが無い。通いなれた風格さえ漂う。
「ここの串は旨いんだ、て劉來?」
「いや、何でも無い」
 変わらない親しみやすさ。劉來がその立場を知っても変わらない。変わらないで欲しいと願ったもの。
 渡された二本の串の一本を劉來に寄越してくる。
「ふふ、こうして色々な見せを冷かしながら立ち食いするのも楽しい」
「……だな」
 はふりと串に噛り付いた劉來も直に頷く。
 その相手が陽子ならばこそ、一層に。
 少し低い位置にある肩を並べて歩く相手は近くて遠い存在だ。
 まだまだその手は掠りもしない。

「好きだなあ……」

 一拍高く鳴る心臓は、仕方ない。
「私はここが、好きだなとしみじみ思う」
「……そうか」
 そんなことだろうってわかっていた!
 それでも陽子の一人歩きの相手に選ばれる程度に近くに俺は、居る。


 それで今は、満足しておこう。











今年は穏やかな春とはいきませんでしたね。
来年はみんなでゆっくりと花を愛でたいですね。