濫 觴













 麗しの主上の姿に後光が差していた……後に禁軍の事務処に集められた兵士たちはそう言った。

「「「主上っ!!」」」
 藁にも縋る気持ちで彼等はその名を口にした。
 そして陽子はその姿を勘違いした。
 それほどに彼等は覚悟してここに来てくれたのだ、と。
「よくぞ難関を突破し、集ってくれた。私はお前たちのことを誇りに思う」
 ここで彼等は、ん?と心中で首を傾げた。
「人手不足の中、本来ならば防衛警護にあたるべきお前たちの手まで借りねばならぬことは全て私の不徳とするところだ。すまない」
 陽子はあまりにあっさりと頭を下げる。
 周囲はいい顔をしないが「下げるべきときに下げずにいつ下げる」と問題にしない。
「文武両道たるお前たちに期待し、感謝する」
 陽子の眩しいばかりの笑顔に晒され、彼等は知った。
 もう後戻りはできないのだと。
 いいでは無いか。貴重な主上の笑顔が見られただけでも特典だろう!
 そんな馬の人参効果が行き渡ったのを確認して、事務処を任された小司馬はこれからの仕事の算段を脳内に繰り広げるのだった。












 楽俊は陽子と夕食の卓を囲んでいた。
 それが至極当然のように用意されていて、楽俊は戦慄した。
 
「最近忙しくて鈴とも祥瓊とも一緒に食べられないんだ」
 はあとため息をつく陽子に楽俊と一緒に食事をするということについて疑問は何ひとつ無い。
 食事を用意してくれた女官たちも特に疑問にするところなく、下がっていった。
「あ、楽俊。紹介しておくよ。手紙にも書いていたことがあるけれど、彼女が日ごろお世話になっている玉葉だ」
「まあ主上。……お初にお目にかかります。楽俊殿。お話は主上より伺っておりました」
 室内に残っていたやや年嵩の女官に楽俊は慌てて頭を下げる。
「こっちこそ、初めまして、おいら楽俊です。どうも、おいらなんかがお邪魔してしまって」
「どうぞ気楽になさって下さいませ。主上は楽俊殿をずっとお待ちになっていらっしゃったのですよ」
「そうなんだ。楽俊がいつ来るだろうと……玉葉には落ち着きが無いと笑われたな」
「陽子……」
 楽しみに待ってくれている相手がいるというのは嬉しいことだ。
 しかし照れる。
「さあ、どうぞ主上も楽俊殿もお召し上がりになって下さいませ」
「そうだな。楽俊、食べよう」
「ん、ああ……」
 せっかく用意してくれたものを冷ましてしまうのも申し訳ない。
 玉葉に給仕をして貰いながら陽子は食事をすすめていく。無駄に遠慮をしなくなったあたりに陽子もだいぶ金波宮に慣れてきたのだと知る。
「ところで楽俊。楽俊はどこの官府に行く?私としては春官府とか冢宰府とかに居てくれると近くで良いのだけれど」
 楽俊は口から食べていたものを噴出しそうになった。
 春官府など楽俊の柄では無いし、冢宰府など恐れ多い。
 冢宰府はやはり官府の中でも花形でかなりの狭き門だ。傍から見るとエリートだろう。
 しかしそこは全ての報告が集中する場所でもあるのだ。つまり一番忙しい。
 冢宰府の人間は三日に一度しか寝ない、なんていう王宮伝説もあるほどだ。
「あー、おいら地官府を希望するつもりだったんだ」
 こういうことは済し崩しにしているといつのまにか外堀を埋められる。
 希望ははっきりと伝えなければならない。
「そうか……浩瀚も楽俊の進路を気にしていたようだが」
「……」
 楽俊の髭が震えた。
「そ、それは有難いけど、おいら、やっぱり慶国はまだ知らねえところもたくさんあるし、一から勉強しねえとな」
「楽俊は真面目だな」
「おいら普通だぞ」
 そんな微笑ましい……攻防戦を玉葉は一人微笑ましく見守っていた。












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