濫 觴












「楽俊っ!!」

 満開の牡丹の花のような笑顔を惜しげもなく披露して抱きついてこようとする相手を楽俊は荷物を前に出すことで防いだ。
「ちょっと待てっ……慎みを持てって!」
 いったい何度この台詞を投げかけただろうか。
 しかも今は一応人の姿だ。人として男として見られていないというのはなかなか辛い。
「楽俊……」
「そんな顔しても駄目なもんは駄目だ」
 ここは断固として譲れないと楽俊は顔の前の荷物を動かさない。
「……久しぶりに会ったのに」
 陽子が楽俊に甘えてくるのは最早無意識の領域にある。刷り込みだろう。
 だがここで甘い顔をしては楽俊のこれからの金波宮での未来は無い。
「そうだな。久しぶり。元気そうだな」
 堯天までわざわざ迎えにやってきた陽子の姿は落ち着いているように楽俊には見える。
 前は必死で、だけどそれを表に出さないように無理をしているというのが目に見えた。
 けれど、それが今は見られない。
 隠すのが上手くなったのかもしれない。周囲が本当に落ち着いたのかもしれない。
 どちらにしろ成長である。
「それで楽俊。早速だが金波宮に行こう」
「は?」
「危急的速やかに帰るように、と念を押されているんだ」
 半日で戻らないと禁軍まで動かすといわれて……と笑い話のように陽子は言うが楽俊にとっては欠片も笑い話では無い。
 色々と言ってやりたい言葉を呑みこんで、楽俊は陽子を促した。





 金波宮に戻った陽子は侍女たちに攫われた。
 その鬼気迫る様子は楽俊に一言も口を挟む隙を許さず、電光石火だった。
 そして取り残された楽俊は、途方に暮れていた。
「おいら……どうすればいいんだ……?」
 そんな楽俊の肩を誰かが叩いた。
「ようこそ金波宮へ」
 いい笑顔を浮かべた祥瓊だった。
 そう言えば女史になったと言っていたと思い出す。
「久しぶりだなあ」
 そんな暢気とも言える楽俊の言葉に祥瓊の微笑も苦笑に緩む。
「相変わらずね」
「祥瓊も相変わらず美人さんだな」
「……お世辞じゃないってわかるから喜ぶべきところなんだろうけど」
 何故か大きく溜息をつく。
「おいら陽子と一緒に来ちまったんだけどな、良かったのか?」
「問題ないわ。むしろ大歓迎」
 そこはかとなく嫌な予感のする太鼓判を押された。
 しかも肩に置かれている手が逃がさないわよと言わんばかりに力がこもる。
「……取り込み中か?」
「ええ。とっても」
「だったらおいら落ち着くまで……」
「ええ、是非協力して頂戴ね」
「……」
 にっこり笑った祥瓊はとても逞しい。
 金波宮で鍛えられている。
「採用試験の人手不足で春官府だけでなくて他も大忙しなのよ」
「ああ……」
 それはそうだろうなあと楽俊は納得する。
 今の慶に余剰人員など居ないのだろう。臨時業務が増えればそれだけ仕事量も増加する。
「だから手伝って頂戴」
「……おいらこれから官吏になるところなんだけどなあ」
「何言ってるの。楽俊は所属もすでに決まってるわよ」
「……。……」
 陽子が迎えに来て、金波宮まで連れられて来たことで薄々は感じていた。
 しかし所属まですでに決まっているらしい。
 楽俊はまだ希望さえ聞かれていなかったはずだ。
「……何だかなあ」
 これも役所勤めのつらいところなのか。
「楽俊が居ると陽子も明るくなるから大助かりだわ」
 そう言われると照れくさくなる。
「陽子ったらすぐに無理するから。でも楽俊には、そういうところ見せるでしょ?」
「そうか?」
 楽俊は首を傾げる。
 確かに陽子は楽俊に甘えてくるが、自分の弱みを見せるのかと言われると疑問に思う。
「もちろん幾ら陽子だって何でも相談する訳じゃないでしょうけど、気を許す相手が居るのって大切でしょ」
 それは祥瓊が陽子のことを大切に思っているからだろう。
「祥瓊だって、そうだろ」
「最近の私は心を鬼にしているのよ」
 それはとても怖い鬼だな、と楽俊は思った。













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