■ 嫌い嫌いも好きのうち ■








 ふぅ・・・。

 傍に立つ半身の溜息に陽子はぴくり、と体をふるわせた。

 まだまだこちらの文字の読み書きに慣れない陽子は奏上される書状をほとんど景麒に読んでもらい、使い慣れ
 ない筆で何とかサインし、御璽を押している。
 教科書だけを頼りにしていた女子高生とは違い、小難しい政治、慶国の地理、難解な儀礼祭典・・・そういう諸々
 の内容が奏上されても、テキストがあるわけでも、参考書があるわけでも無い。テストのように唯一の回答が
 用意されているというわけでもない。
 陽子が無能という訳では決して無いのだが、如何せん慣れない作業はどうしても処理に時間がかかる。
 それに付き合う景麒の負担も、並のものではないこともよくわかっている・・・それでも、だ。

 こうして何気なく溜息をつかれる度に、陽子は全てを投げ出したくなる。
 意識してつかれているならまだいい。けれど、きっと景麒は無意識に溜息をついている。
 怒ったところで、『何をお怒りか?』と問い返されるのがオチだろう。
 そして喧嘩になるのだ・・・陽子が景麒に怒るという一方的な・・・。
 それがわかっているから、口に出せないものが陽子の内に澱となって堪っていく。良い事ではない。

 (・・・よしっ、気分転換をしよう!)

 決めた陽子は、御璽を置いて景麒を振り返った。

「何か?」
「休憩にしないか?」
「畏れながら主上・・・」
 景麒の眉間に皺が寄る。
「たった今、始めたばかりと記憶しておりますが」
「・・・景麒に読み始めて貰ったのは一時間ほど前だけど、私は今日は午前中からずっとここに閉じ込められて
 居るんだぞ。息抜きしたっていいじゃないか」
 はぁぁ、と再び景麒が溜息をついた。
「主上、それは主上が昨日まで延王延台輔と共にご遊行あそばされていたため政務が溜まり、このような事態を
 招いたのだということをお忘れですか?」
「・・・・・・」
「主上・・・」
「ああ!わかった、わかった!自業自得だと言いたいんだろっ!?」
 わかっているなら、とっとと仕事をしろ、と景麒の目が語っている。
「それでも疲れるものは疲れるんだっ!景麒、お前は慈悲の生き物の癖に自身の主には少しくらい休ませて
 やろうかっていう慈悲の欠片さえないのか!」
「慈悲の欠片も使いきって久しゅうございます」
「ぐっ・・・・」
 涼しく答えられ、さすがの陽子も言葉に詰まった。
 確かに。
 確かに・・・1週間も王宮を不在にしたのは悪かったと陽子も反省している。
 しかし決して、遊びまわっていたわけではないのだ。

「景麒!」
「さて、次の奏上文に参ります」

 (くそっ!)
 どうあっても景麒は陽子に休みを与えてはくれないらしい。

「・・・――景麒」
「はい」
 陽子の胡乱げな眼差しに、静かに返事する。

「・・・お前なんか、嫌いだ」
 ぼそりと呟かれた陽子の言葉に、景麒はやれやれ、と言ったふうに肩を落とした。
「畏れながら主上」
「いちいち畏れなくていい」
「では、主上。蓬莱にはこのようなことわざがあると伺っております」
「・・・・何だ」





「嫌い嫌いも好きのうち」





「・・・・っ!?」
「どのような意味のことわざなのでしょう、よろしければお聞かせ願えませんか?主上」
 あの顔は能面なのではと評判高い景麒の口元が、僅かにあがる。
「ぐ・・・っ」
 こいつ、知ってて聞いてやがる・・・・つい口調が荒っぽくなる。
 筆をぎゅっと握り締めた陽子は――― がくり、と首を落とした。

 (―――・・・負けたっ)

 完全敗北である。

「さぁ、主上。参りますよ」
「・・・・・・・」

 背後に景麒の声を聞きながら、陽子は誓った。
 いつか、絶対に景麒に目にもの見せてやるっ!と・・・。






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リベンジ!陽子!(笑)