華炎記
 ■ 第六話 ■



(どうやら大変なところに連れて来られたらしい・・・)
 陽子が内心そんなことを思い始めるのにそう時間は掛からなかった。
 朱衡にあちこちに使いっ走りにされて様々な部署に足を運び、そこに居る役人たちと顔をあわせ言葉を交わす。
 文官も居れば武官もおり、そして尋常な広さでは無い。
 普通の商家や役所であるはずが無かった。
 関弓でこれだけの広さと役人を抱える場所など、限られている。陽子とて馬鹿ではない。


「ここには慣れたか?」
 陽子の仕事が終わった頃を見計らい、久しぶりに風漢が顔を出した。この場所に陽子を放り込んで以来始めてだ。
「まあ・・ぼちぼち」
「朱衡も良い働き手がきて仕事が捗ると喜んでいたぞ」
「・・・それは有難うございます」
 口元を引き攣らせながら陽子は礼を述べる。
 朱衡は仕事の鬼だった。容赦なく扱き使われた。それでも文句を言う気がおきないのは朱衡がそれ以上に働いていることがわかるから。
「ところでどこに?」
 ついて来いと言われ、言われるままに風漢の後に続いた陽子は塀で囲まれた場所に居た。
「訓練場だ」
「訓練場?」
 入口を入っていくと兵士たちがそれぞれに武器を持って鍛錬していた。
「成笙!」
 その中に向かって風漢が名を呼ぶと、いかにも無骨そうな武人ですっ!と言わんばかりの相手が顔を向けた。
 表情があまり変わらないのでよくわからなかったが、僅かに不審そうな気配がある。
「・・何でしょうか?」
 兵士たちの輪を離れ、近づいてきた相手の軍服には色とりどりの徽章がついている。それぞれがどんな証なのか陽子には全くわからなかったが今までお目にかかった兵士たちから類推するに相当優秀な相手なのだろうとわかる。
「陽、こいつは成笙。体を鍛えてもらえ」
「は?・・・はぁ」
 陽子もよくわからなかったが、相手もよくわからなかったらしい。
「新米兵士、には見えませんが・・・」
 そうだろう。陽子が着ているのは支給された文官の服だ。
「鍛えておくにこしたことは無い」
 にやりと笑った風漢は何を考えているのやら。
「俺から一本取れる程度にはなってもらいたいものだ」
「・・・風漢の腕がどの程度かわかりませんが、私は今まで剣を持ったこともありませんよ」
「なあに、すぐに慣れるさ」
 では頼んだぞ、と言って去っていく背中を見送る陽子と成笙。
 その姿が消えたところで顔を見合わせると、成笙が小さく溜息をついた。恐らく諦めの。
「取り敢えず、その服では動くに動けないでしょう」
 ついて来いと言われ、更衣室のような場所に案内され訓練の際に着るだろう服を渡される。軍服では無かったことに安堵した。
「剣でいいですか?」
「・・・剣で、いいのでは?」
 問いに問いを返した陽子をじっと見つめた成笙は何故か小さく頷いた。





 着替え終わって訓練場に戻ってきた陽子に待っていた成笙が木刀を渡してくれた。なるほど。
 さすがに初心者に真剣を渡すわけが無い。
 触ったことはあるか、と問われ首を横に振る。水禺刀を持ってはいたが使い方など誰も教えてくれなかった。
 成笙は基本の型をまず教えてくれた。
 特に難しいことでは無いので、陽子は素直に言われるままに木刀を振るう。
 何度か繰り返すと成笙が別の木刀を持ってきた。
「こちらを」
「はあ」
 持って見るとどうやら先ほどのものより思い。中に鉄でも入っているのかもしれない。
 先ほどの木刀は軽すぎて手から抜けそうだったが、今度は丁度良い重さでしっくりくる。
「何か武術を」
「いいえ、全く。・・・ああ、力だけはあるので」
 そう、力だけ。
 そして再び型を繰り返して、終わった。
「時間も遅い。今日はここまでにしましょう。・・・明日も同じ時間に来れますか?」
「はい、恐らく、大丈夫だと
 朱衡に残業を命じられなければ。
「ならば、お待ちしています」
「あの・・」
「はい?」
「・・・その、私ただの使いっ走りなのでそんなに丁寧にしていただかなくても」
 明らかに地位の高そうな相手に敬語で話されては落ち着かない。
「・・・わかった。では以後そのように」
「ありがとうございます。・・その、よろしくお願いします」
 何故こうなったのかは未だによくわからなかったが、相手も陽子とそう変わらないだろうに丁寧に面倒を見てくれている。
 深々と頭を下げた。













 訓練場を出たところで、成笙は建物の影に向かって語りかけた。
「・・・今度はどのような仕儀ですか?」
 すると笑顔を浮かべた風漢が影から出てくる。
「なかなか筋は良かろう?」
 本意を語ろうとしない相手に成笙は深々と溜息を吐く。
「傍に置くおつもりですか?」
「さあて、どうするか」
 気まぐれか戯れか、はたまた本気なのか。
 何れにしろ、この男に見込まれた”少女”に成笙は心から同情を寄せるのだった。