華炎記
 ■ 第三話 ■


 いつものように日雇いの仕事をしていた陽子は、武装した兵士らしき者たちが歩きまわっているのを見て、物陰に身を隠した。
 不審に思われないように、その場にしゃがみ兵士たちの動きを観察する。



「おい。どうした?」
 不意に頭上から響いた声に顔を上げると、風漢が見下ろしていた。
「いや・・」
「小銭でも見つけたか?」
 揶揄うように言われ、陽子は立ち上がった。
 いつから見られていたのだろうか・・・
「丁度良かった。用があったのだ」
「用?」
 ここではゆっくり出来んと風漢につれてこられた食堂で衝撃的事実が告げられる。


「雁国に来ないか?」

 何故風漢がそんなことを言い出したのか、どんな目的があるのか。
 風漢の意図がわからず、無言で見ていると悪戯が成功したときのように笑みを浮かべた。
「俺は元々雁国の出なのだ」
「は・・・?」
 何故雁国の人間が慶国に居るのかわからない。
 隣国とはいえ、あまり仲が良いとは言えない間柄だ。
「何、知り合いに会いに来たはいいが、野暮用を済ますうちに懐が寂しくなったもので日雇いで働いていたのだ」
 陽子の目が半眼になる。
 どうせ先日のような場所に入り浸っていたのだろう。
「どうだ?」
「・・・何故、私を?」
「日雇いで働かせるには惜しいと思ってな。丁度うちの連中が人が欲しいと言っていたのを思い出してどうかと思ったのだ」
「・・・どんな仕事ですか?私は学は無いし、力仕事ぐらいしか役に立ちませんよ」
 国境を越えれば景麒も手を出しにくくなるだろう。
 そんな思惑もあったが、すぐに「はいそうですか」と頷くにはうますぎる話だとも思った。
「仕事などやりながら覚えていけばいい。のんびりする間も無いきつい仕事らしいから体力には自信があったほうが良いだろう。給金は要相談だが住み込みで食事も出るからそのへんは楽だぞ」
 今の陽子は軒先で夜露をしのいでいる状態だ。野宿と言っても良い。
 住み込みで働かせてもらえるなら渡りに船だろう。給金も要相談というところが気に入った。ここで高給を約束されたなら断っていただろう。
「どうする?」
「・・・風漢もそこで働いているんですか?」
「まあ、そうだな」
「・・わかりました。では世話になります」
「そう堅苦しくすることは無い。荷物はあるか?」
「いえ、今持っているだけです」
「では早速だが出発しよう。・・・・・・随分待たせて角が生えているだろうからな」
「は?」
 後半の風漢の呟きは陽子には聞こえなかった。











 雁国の国境を越え、最初の街についたところで慶国とのあまりの違いに陽子は空いた口がふさがらなかった。
「ははは、何だその顔は」
「・・・慶とあまりに違うので」
「仕方あるまい。慶国は頭が数年で代替わりしている。上が落ち着けねば下も落ち着かぬ」
 通りの店構えはどれもしっかりしていて道も整備されている。
 行き交う人々も和やかだ。
 慶国の首都である堯天より豊かだ。それでも雁国の首都では無い。
 これほど豊かでありながら、何故貧しい慶国などを侵略しようとしているのか・・・。
「しかし物価が高いのが少々難ではあるな」
 そう言いながら宿代をまけろと風漢は値下げ交渉を始めている。
「ところで風漢の仕事は主にどんなことをしているのですか?」
「・・・陽。今更それを聞くか。もう少し警戒心を持て」
「・・・・・・・・」
「まあ雑用・・・ふむ、小間使いと言ったほうが良いかな」
「小間使い・・・」
「何でも屋だな。道が悪くなれば道を直し、食い物が無くなれば食えるようにする」
 土建兼農家だろうか、と陽子は首を傾げる。
「着けばわかる」
「はあ」
 とりあえず腹ごしらえだとテーブルの上に並べられた調理を口に放り込んでいく。
 仕事にありつけず空腹で路地に倒れこんでいたこともある陽子には、食事が出来るということが何よりも幸せに感じた。

(風漢も・・・善人、とはとても言えないが全くの悪人というわけでも無い。多少癖はあるが・・・)

 いざとなったら、また逃げれば良いだけだ。
 陽子は腰にさした短剣にそっと手を触れた。